ピアニストと教師としてのショパン    

Chopin as a pianist and teacher     

                    

PROF.リディア・コズベック 著

畑中 淳子 訳 

        

ショパンといえば言うまでもなく大作曲家であることは間違いありません。

この論文は、そのショパンの、ピアニストとして、また、教師としてのショパン像について、ショパンの残した「メソード」に基づいて、ワルシャワ・ショパン大学教授で、2010年ショパンコンクールのコメンテーターを務めたPROF.リディア・コズベックが著述したものです。   

                                                         

 *****************

 

《 偉大な音楽家の経験に基づくショパンの「メソード」 》

ピアニストとして、教師としてのショパンについてお話しするには、彼の残した「メソード」の断片に触れなければならないでしょう。

 

この「メソード」は、完結はしなかったものの、ショパンは、自分の書き残した「メソード」に大いに重要性を感じていました。

 

それは、ショパンが死の間際に、「この『メソード』を後世に伝えるように」と、パリ・コンセルヴァトワールのアルカンやロベールに遺言を残したことでもわかります。

 

「メソード」には、音楽の記譜法の問題、自然な手の形の問題、各指の能力を伸ばし、最もメロディアスな響きを得るための練習法の問題について、的確に、そして簡潔に示されています。

 

音楽とピアニスティックなテクニックへの姿勢を、他の無益なメソードと比較することによって明確にしています。

 

「彼ら(無益なメソードを主張する人々)は、本当の意味での演奏法を知らない。

彼らの練習は、音楽上の難しさ=抽象的なものを持たない。それは新しい種類のアクロバットだ。

 

さらに、腕全体を準備し、コントロールする演奏法(訳者注:手首からではなく、肘から腕全体をコントロールして、腕から指先へと体の力を効率よく指先に伝える演奏法)や、運指法も重要である」と論じています。

 

また、音楽を作る目的は「感情・思考・印象」を、音の響きの助けによって表現することであると定義づけ、彼の美学的価値観を明らかにしています。

 

ショパンの「メソード」は、小さな著作ですが、そこからはショパンの一般的な音楽への考え方や、彼の演奏メカニズムに対する優れた見解を知ることができます。ショパンは、「自然な演奏」を主張しています。

「自然さ」や精神生理学上のメソードによる教授法は、以後、試みられてきたにも関わらず、今なお現実的問題として残されています。このような考え方や知識は、偉大な音楽家の実際的な経験に基づく、理にかなったものだと言えるでしょう。

 

 《 ショパンの演奏 》

ピアノによるベルカント

 

ショパンの演奏については、彼の演奏を実際に聴いた人々の記憶によって知ることができます。ショパンの弟子であったミクリによれば、彼ら弟子たちが誰よりも良く知っていた、と述べています。

レッスンで、彼はたいへん熱中し、言葉で説明するだけではなく、その曲がどのように演奏されるべきかを実際に弾いて聴かせたそうです。

 

そのレッスンで取り上げた曲は、ショパンが賞賛していた偉大な作曲家・・・バッハやモーツアルト・・・etc.の作品が主なもので、彼自身の作品も含んでいました。

どれも、生徒たちのピアノ演奏や音楽性を伸ばすために選ばれたものでした。

 

レッスン中にショパンが示した演奏は、コンサートやサロンでの時よりも、もっと個性豊かで非凡な演奏でした。

彼は、美しく、わかりやすく、説得力のある音楽の表現を望みました。それによって生徒たちを励まし、彼らに自分で探究し、勉強するようにさせたかったのです。

 

ショパンの音楽は、表現される感性と思考が、誠実で素直だと評価されています。

 

また、鍵盤上のデリケートなタッチ、繊細な響きを醸し出す手の触れ方、デュナーミクや豊かな音のニュアンスについても高い評価を受けています。

 

深く響きのある音、均等で流暢なパッセージ、テクニック上の困難を征服した上でのリラックス、繊細なレガートや注意深いフレージング、独創的な指使いやペダリングなど、ショパンの優れた能力は認められています。

 

ショパンの弟子のミクリをはじめ多くの人々が皆、彼の演奏はたいへん個性的で、他に類を見ないものだったと述べています。

 

彼の独創的な演奏スタイルは、彼が天才だったことだけではなく、一人の先生にしか師事していなかったこと、それも12歳までしか師事していないことも影響しているのです。

 

その後、ジヴニィやエルスナーら賢い教師たちは、ショパンが「ピアノによるベルカント」を創造し、自らのピアノ演奏の理想を発展させていく道を選ぶよう、見守ったのです。

 

ミクリによれば、ショパンはピアニストとしてはあまり知られてはいませんでした。

これが、ショパンの音楽の間違った解釈が代わる代わる生じ、間違った見解が確立されていった原因なのです。

おそらくこれは、今日も続いているのではないでしょうか?

 

風のように澄んだ詩

ショパンの演奏を聴いたJ.E.ヒプキンスは、独特の音の響きと同様に多彩な色彩を持つ、何よりも抑制のきいた演奏を賞賛しています。

 

また、同時代の偉大なピアニストたちの奏法と比較して、他の単調な演奏と違い、”澄んだ詩”のようだったとも述べています。

 

また、アンドレ・ジイドは、「演奏している間に次第に作品が明らかにされ、形作られていき、まるで語りかけているかのように即興的だった」と述べています。

 

ショパンの弟子であり、友人であったユリウシ・フォンタナもまた、彼の注目すべき即興への才能について書いています。

 

「偉大な作曲家であり、しかも即興への才能を持っていたのはショパンを置いて他にいない。彼の即興演奏を聴いたことのない人には彼の天賦の才能を想像することすらできない。」

 

当時の評論家たちは、ショパンのルバートや芸術的な表現を、言葉で現わそうとしました。

 

リストはそれを「風によってたなびく麦畑や梢」に例え、ショパンの弟子のリンツもまた、同じように語っています。

 

アレキサンダー・ミハウォスキは、彼の師であったミクリの評価をもとにして、ショパンのルバートは情緒的倫理をも持っていたと語っています。

 

ショパンの演奏の様式を理解するための鍵は、ルバートであったことを知っていたのです。

 

ミクリのもう一人の弟子であったロール・コルチャスキは、誇張されたルバートはショパンの敵であると述べています。

 

 ショパンの演奏を聴いた人々は皆、彼の演奏はすべての面で磨き抜かれたものであり、美しい音を出すための理想的なタッチに卓越していたと述べています。

 

ショパンの手はむしろ小さい方だったのですが、柔軟で良く伸び、機敏でした。

彼は、男性的なエネルギーを発揮することも好みましたが、軽いテクニックを用い、柔らかくてデリケートなスタイルをより好んだようです。

彼の演奏に、乱暴さ、硬さ、ぎこちなさは全く見当たりませんでした。単なる抑制や完全なコントロールでなく、動きを節約するために、身体全体を厳格に静かに保っていたことは、注目に値します。

 

 

《 教師としてのショパン 》

シンプルであること

ショパンのメソードは、各指のそれぞれ異なったキャラクターを利用して、使いやすい指を使って表現することを土台としていました。それは、その当時受け入れられていたパターンではなかったので、多くの議論を呼びました。

 

彼の音楽は「語り」であり、語りかけの上にフレーズを創り上げたものなのです。

 

イタリアの偉大な芸術であるベルカントは、解釈上・及びピアノ演奏上の理想的なモデルでした。ショパンは弟子たちに、音楽に集中することを指導しました。

音の響きに対して自分の理想を持ち、自信を持つことを心掛ければ、いつも良い演奏ができると信じていたからです。

 

また、ショパンは、最初のレッスンから、弟子たちの硬さや音の荒っぽさやぎこちない動きを取り除き、音楽に表情を与えるための柔軟な手を持つことを習得させ能力をのばしてあげるためにたいへん骨を折りました。

 

彼は、演奏上の誇張や気取りにとても反対していました。これは、鍵盤上の手の形の動きに応用されるだけでなくアゴーギグやデュナーミク、そして特に美的表現である芸術的表現の要素となるものです。

 

シンプルであることが重要な目的であり、ショパンが誇張や、不適切なルバート、拍子感のない演奏を嫌った理由なのです。彼のテクニックは、テクニックそれ自体を目的とするのではなく、いつも解釈と関連していました。

 

それは、最も美しい響きを作る問題、そして微妙なデュナーミクのつけ方の問題です。カルクブレンナーが当時言ったいたような指だけの演奏ではなく、腕全体を完全に準備して使うようにとアドバイスしていました。(

ショパンは、手首からだけの演奏は誤りであると言っています。)

 

《 現代へ続く革新的メソード 》

  

彼は、曲を綿密に仕上げる過程について、同時代の人々と全く異なった考え方を持っていました。集中力を伴った演奏をすること。

 

また、リラックスするための休憩を取り入れながら(例えば、歩いたり、楽譜を見たり読んだりすることを交えて)練習することを勧めました。

 

さらに短時間で行うように助言しました。(デュポワ夫人には、「一日に3時間の練習で良い」と言い、6時間もの練習は、無感覚になって、いらだたしく機械的な、芸術的でない演奏になるとして誡めました。

 

これとは反対に、先に述べたカルクブレンナーは、練習しながら本を読むように、と勧めました。リストもまた、同様に助言したようです。)

 

ショパンの演奏や教授法は、その当時の状況から判断して、いかに革新的なものであったかが想像されます。

 

彼の音楽への姿勢は、今もなおいろいろな点で新しく、彼の理想は未だに達成されていない、と言っても決して誇張ではないでしょう。

 

この点が、ショパンのメソードを今一度掘り出してみることに注意を払い、探究すべき理由でしょう。

 

これが為されれば、すばらしいヴィルトゥオーゾを賞賛し激励するだけでなく、もっと聴衆の心を感動させ、豊かにできるに違いありません。

 

 

 

 

《 Prof.Lidia Kozubek 》PROFILE

 

1948年カトヴィツェのヴラディスラヴ・マルケヴィッチの指導のもとでピアノと音楽学を学び、優秀な成績で卒業し、1952年にはクラクフのヤギェウォ大学で音楽学を学び、哲学の修士の学位を得た。

 

また、ワルシャワ・ショパンアカデミーにおいて、エキエルのもとで研鑽した。 

またアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの国際コースに参加してミケランジェリの薫陶を受けた。 

1949年ポーランドフィルハーモニーのコンサートより演奏活動を開始。ポーランド国内はもとより、アフリカ、アメリカ、オーストラリア、日本、フィリピン、インド、中国、香港等世界各地でリサイタル・講演会を開催。ポーランド国営ラジオ・ポルスカでのリサイタル、録音、CDは多数に及ぶ。

レパートリーは、ショパンをはじめ、パデレフスキ、シマノフスキ等のポーランドの作曲家の作品を広く紹介。

その温かみのある心のこもった演奏には定評がある。 

ワルシャワ・ショパン大学(ショパンアカデミー)教授を務める。

日本では、武蔵野音楽大学客員教授を務め、リサイタル・チャリテーコンサート、講演活動、論文を発表するなど精力的に活動。 

ワルシャワ・ショパン大学(旧ワルシャワショパンアカデミー教授)を務め、多くの優秀な生徒を育てた。熱心なレッスンには定評があり、数多くの日本人のピアニストも輩出している。 

ポーランド・ラジオ・ポルスカに度々出演し、 2010年にはショパン国際ピアノコンクールのコメンテーターを務めた。(フレデリック・ショパンTVP2) 。

 1979年ポーランド政府より、文化・芸術大臣賞等を受賞している。 

著書

「アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ・・・人・芸術家・教師」「パデレフスキ…教育の目的のために」「ピアニストと教師としてのショパン」等

 

  

  

《 訳者 畑中 淳子 》PROFILE

 

国立音楽大学器楽科ピアノ専攻卒。 

中学校1種教員免許並びに高等学校1種教員免許取得。 

卒業演奏会、FM新人演奏会、読売新人演奏会等に出演。ポーランド給費留学生として、ポーランド国立ワルシャワ・ショパン大学に留学、ディプロマを取得。ワルシャワ・ショパン大学教授リディア・コズベック女史に師事。 

ポーランド各地にて宮殿やコンサートホールにてコンサートを行う。

オーディション合格者によるシマノフスキ生誕100年記念コンサート出演。ポーランド国営放送ラジオ・ポルスカに出演。 

帰国後、第一生命ホールに於いてポーランド大使館後援にて「ポーランド音楽の夕べ」と題してのリサイタルを開催。ショパン、パデレフスキ、シマノフスキなどポーランド音楽の普及に努めるとともに、東京、仙台を中心にリサイタル、オーケストラのソリスト、ポーランド大使館でのコンサート等ソリストとして演奏活動を行う。また、リディア・コズベック教授の公開レッスンの通訳を務め、ショパンの演奏法に関する論文「ピアニストと教師としてのショパン」を翻訳。東京聖徳学園音楽高校講師、東京女子体育大学講師を務める。 ヤマハ音楽振興会で講師・グレード試験官を務める。生徒の合格実績は、国立音楽大学、武蔵野音楽大学、上野学園大学、聖徳学園大学、尚美学園短大等(いずれもピアノ科)
ヤマハグレード合格実績は、10~6級、5~4級(演奏・指導グレード共)で多数の合格実績があります。現在クレールミュージックセンター主宰。

 

http://clair-music.com